歩いてスマホ見ている人って迷惑だよね?
本人はまともに歩けてると思っているみたいだけど、遅いしフラフラしているし。
やめて欲しい。
二宮金次郎像が全国の小学校から撤去されていっているのも同じ理由。
『歩いて本を読むのは危険』と言う保護者の声。
でもこれってホント?
実は高校の時に調べた。
当時は思想的に尖っていたので、全ての事を疑ってかかっていたからね(-“”-;)。
wikiにはこうある。
「報徳記を基にした幸田露伴著の『二宮尊徳翁』(1891年)の挿絵で、はじめて薪を背負って歩く姿の挿絵が使われた。」
これは、wikiを書いた人には悪いけど、明らかに間違い。
添付の写真がその挿絵なんだけど、「薪」じゃなくて「柴」だよ。
銅像も初期の頃のものはほとんどが「柴」を背負っている。
でも、全国の小学校に設置してある量産品はほとんどが「薪」。
銅像で「柴」を再現するのは難しいからね。
ちなみに「柴」は、乾いた小枝とかで焚き付けに使うもの。
昔話でおじいさんが山に”柴刈り”に行くでしょ?
あれ。
(¬∀¬)σ芝生の手入れをしに行くんじゃないからね!(笑)
「薪」でも「柴」でも運搬物は関係ないんじゃない?と思っていない?
違う。
金次郎は山道を下ってきているんだよ。
やってみると分かるけど、「薪」だったら運搬するだけ、「柴」なら新たに拾って継ぎ足す筈。
金次郎の性格を加味すれば、尚更そうすると思う。
読んでいる本は「大学」(もしくは「論語」)で、”素読”をしていると言うのが伝わっている。
素読と言うのは、本を読んでいるんじゃなくて、声に出して暗記しているって事。
開いている本は今で言う単語帳と同じ役目な訳。
以上の2つから結論づけると・・・
・新たな柴を見つける為に、周りに注意を払っている。
・本を読んでいるのではなく、素読なので、視線は本に釘付けにならない。
なので、『歩いて本を読むのは危険』は、金次郎像には当てはまらない。
どうでしょうか?オレ説は?*゚∀゚)ノ
二宮金次郎は山道であるにもかかわらず、キチンと周りに気を配っていたんだよ。
スマホ見ながら歩いているサラリーマン諸氏!
キミも金次郎の様に周りに気を配りたまえ!( ̄△ ̄)