教育程度の高い人間程、正解を探そうとする。
全ての物事に「真理」があるとしたら、選択の度に正解を選んでいけば、「真理」に辿り着くとは思う。
でも、世の中、そんなんばかりじゃないでしょ?
西洋では、唯一絶対の神様がいて、イコールそれが「真理」と言う思想が根本にあると思う。
教育制度にしても、西洋が発祥なので、絶対的な真理を上から目線で教え込むという形になっている。
日本は明治になって、その思想ごと丸々輸入した。
なので、現代人(@日本)は、学校で習ったことが、絶対だと信じる傾向にある。
先日のエントリーで話した様に、かつての日本の教育は「解題」によって、独自の思想を確立していく方法だった。
相対的な真理を是としていたのがわかる。
聖徳太子の「和を以て貴しとなす」とは、仲良くしよう!ではなく、派閥を超えてみんなに良い様な答えを探そうと言う意味。
太子はこれを、「道理」と呼んだ。
奇しくも王政復古の五箇条のご誓文中の一節「広く会議を興し、万機公論に決すべし」も同じ意味。
元々、「真理」よりも「道理」と言う思想が日本人の根底にあったと思う。
まあ、島国独特の談合社会と言えばそれまでだけど、そこまで極端なのは稀だし(←と信じたい)。
個人的には、日々の生活の中では、「真理」の追求よりも「道理」を探す方が大事だと思う*゚∀゚)ノ!
正解は唯一絶対に存在するんじゃなくて、人の数だけ存在するんだよ。
そして、その最少公倍数が「道理」。
この辺の思想も、家庭教育として、実践していこうと思う。
P.S.
高みに目標があり、ダレずに突き進むが理想です。
自分の道を全うした者同士、大家と大家、その道のプロ同士がぶつかり合って、積み上げていくというのが理想。
それが出来ないと、底辺で談合しちゃう。
日本人は向上心があって、それが出来るから、ボトムアップでやっていけてるんだと思う。