教育勅語って、いいこと書いてあるんだけど、左翼系の先生に教わっていたせいか、子供の頃はキチンと読まずに悪いものと決めつけていたよ。
その先生曰く「天皇のために死ね」と書いてあると言っていた。
多分、「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」の箇所だと思うんだけど、これはそういう意味ではないよ。
”聖書を読みとく鍵は聖書の中にあり”で読み解くと、文中、
- 今上天皇のことは「朕」
- 歴代天皇のことは「皇祖皇宗」
- 天皇のって、意味を用いるときは「皇」
となっているので、「公」はそのまま公(おおやけ)と言う意味ではないかな?
しかしながら、「以って、天壌無窮の皇運を扶翼すべし」につづいているから、なんとも言えない。
「それによって、天壌無窮(=永遠)の皇運(=天皇の手による政治)を扶翼すべし(=助けよう)」だからね。
実はこの一文にはレトリックが隠されているのではないか?
一つはよく言われる「一旦緩急あれば」の文法上の誤り問題。
wikiにはこうある。
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条件節を導くための仮定条件でなくてはならず、和文の古典文法では「未然形+バ」、つまり「アラバ」が正しく、「アレバ」は誤用である、とする説である。
これに対して、教育勅語は漢文訓読調であるから、条件節であっても「已然形+バ」とするのが普通であり、誤りではないとする説もある。
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ネットでググっても、どちらかの説を主張して、そこで議論は終わっているような感じ。
要はどっちでもいいっぽい。
しかし上記は、レトリックの導入部に過ぎなかった。
(から始まる、ココからオレ説*゚∀゚)ノ)
何故、(”あらば”ではなく)「一旦緩急”あれば”」としたのか?
思いつくのは、『史記 袁オウ伝』からの引用ということだ。
引用の形を取ることで、その後に続く語句も引用であると印象付けたかったのではないか?
「義勇公に奉じ」に該当する故事成語は無い。
「義勇」で思い浮かぶのは、「論語」の「義を見てせざるは勇無きなり」
あまりにも有名なこの句は、江戸時代を通じて朱子学の命題とされてきた。
「義」とは何ぞや?
「勇」とは何ぞや?
これに解題を与えることが、日常的に寺子屋等で行われていたと言われてた。
正に上記はこれに対する(政府公式の)解題という形になっているのではないでしょうか?
それを元に読み解くと、下記のようになるのではないでしょうか?
”義”も”勇”も、各人それぞれ考え方はあるでしょうけど、一旦緩急あれば、私(わたくし)ではなく、公(おおやけ)で考えましょう。
以上、漢籍好きの妄想でした。Σ( ̄▽ ̄ι)