「以和爲貴」と仏教導入

西洋は契約社会と言われている。
神様と契約して、初めて人間になれる。
この辺の感覚は日本人には理解し難い。

ピサロがインカ帝国を初めて訪れたとき、本国に問い合わせた内容は、「この者達は人間ですか?」だ。
それに対して、「キリスト教かどうかを問い合わせ、そうでなければ、人間ではない。」という回答だった。

もちろん、インカ人がキリスト教徒であるはずがなく、スペイン人は良心の呵責なく虐殺できた。
昔の宗教は、他宗教に対しては、改宗か死かしかありえなかった。

対して、日本は談合社会だと言われている。
事の始めは、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」からだと言われている。

ここでフッと考えたd( ̄▽ ̄)。

太子は仏教を積極的に国作りに導入した人物だ。
前記の西洋の例でもわかる通り、古代の宗教観は至って原理主義。
宗教上の対立を鑑みると、仏教導入の根回し、地ならしの為の談合主義徹底なのか?

仏教導入と談合主義化を同じ文脈で語った文献に出合ったことはない。
歴史学者は否定しているのだろうか?

オレは関係していると思うんだけど、どうだろう?
( ̄△ ̄)

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