蕎麦を食べるときは、蕎麦そのものを味わうよね?
ツユの良し悪しは、ある程度のレベルを超えていれば、大した問題じゃあない。
以前、水につけて食べる蕎麦(盛塩が添えられてて、それを舐めながら啜る)を喰ったときがあるけど、それなんかも、蕎麦自体の味に集中するための手法だよ。
うどんだって同じ。
うどん県の方じゃあ、醤油だけで喰ったりするし。
最近じゃあ、パスタ料理もそうなりつつあるよね?
タリアテッレとかタリオリーニとかとか、生パスタだとか水漬けパスタだとか。
「美味しんぼ」の究極vs至高のメニューで、海原雄山が出したのが単純なトマトソースのパスタ。
雄山は、麺そのものを味わうのが日本人が求めるパスタだと言っていたよ。
こう言った日本人の麺料理に対する姿勢というのは、主食の概念とそれを昇華させる気質で成り立っている様に思う。
コメに対するこだわりが、他の炭水化物食に反映したのだろうか?
翻って、つけ麺はどうだろう?
本来、汁蕎麦→ざる蕎麦、汁うどん→ぶっかけ・ざるうどん、って、上記のように麺そのものを味わうためになされた進化だった。
しかしながら、昨今のつけ麺事情は勝手が違う。
麺は蔑ろにされて、ツユの奇抜さで竸っている。
まあ、元になっているラーメン自体が、麺を味わうと言うよりも、スープの良し悪しに重点が置かれている現状を考えれば、そこからの派生は、混迷を極めるのも無理ないよ。
この辺から、ラーメンの進むべく方向が見えてくるのではないだろうか?
麺そのものを味わうようにならないと、ラーメンは主食としての市民権を得られずに、単なるスープの具と化すよ。
d( ̄▽ ̄)