「読み」と「書き」は別物だよね?

考えてみれば、「国語」って教科はおかしいよね?
「読み・書き・そろばん」って言い回しがあるけど、昔は読みと書きは明らかに分けていたんだよね。
(ちなみにそろばんって、珠算のことじゃなくて、計算・算数のことね)

「読み」は、文学的な読解力を育てるだけじゃなくて、文字からの知識を得る手段、本と対話する方法、そしてそこで得た情報を頭の中に整理して入れる方法とか、教えることが色々とあると思う。
今の「国語」の内容のほとんどが、これだと思う。
この場合、筆者の気持ちに共感して、その思考をトレースする作業なので、極めて受動的な行為。

対して、「書き」は、自己思想を確立して、自身の知識を整理して、それを自分の言葉で表現する。
今の「国語」では、体系的にこれを教えていることは、ほとんど無いと思う。
これって、極めて独創的、利己的で、独善的な行為。

やってみると分かるんだけど、本を読むのと文章を書くのでは、明らかに脳ミソの使っている部分が違うし、方法も、考え方も、当然それに伴う教え方も、違うと思う。
「物理」と「化学」以上に違う教科として教えるべき問題だと思う。

何故そうなのか?
他の教科(英語でさえも、中高生レベルなら)は、インプットとアウトプットがほぼイコール。
シチュエーションとか、他の入力情報との交雑とかはあるけど、基本的には入力情報とさほど違わない情報を出力する行為だと思う。

対して、国語の場合は母国語と言うこともあり、高度に発展しすぎてしまっている。
入力情報を自分で吸収し、こねくり回して、昇華して、アウトプットする。
この行為は、他の教科で言うと、大学生レベル、研究して論文を書く行為に等しいと思う。

なので、今の「国語」は「読み」に徹して、他に「論文」と言う「書き」に徹した教科が必要なんじゃないかな?
(まあ、もうそうなっている私学もあると聞くけど)

実際に娘の「読書感想文の書き方」ってテキストを見て、このエントリーを思いついたんだけど、これって、ワンクッションじゃ教えきれないよ。
「国語」で、読書(読書の仕方、読解力、それを整理して脳ミソに納める作業まで)を教えて、「論文」の中で、感想文の書き方(他の情報との化学反応、思考の整理、表現力)を養うべきだと思う。

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