素読と解題

漢籍の読み方は人それぞれだけれども、個人的には「素読」と「解題」がいいと思う。

「素読」とは原文(読み下し文)を頭に叩き込むこと。
「解題」とは自分なりの解釈をつけることだ。

江戸時代までの朱子学はこの方法で学んでいた。

之(これ)を知るを之を知ると爲(な)し、知らざるを知らずと爲す。是れ知るなり。

これはソクラテスの「無知の知」と同義とするか、知ったかぶりは良くないとするか、無知の自覚があるから勉強しようとするかは、人それぞれ。
それどころか、同一人物でも、歳や状況によって解釈は違うと思う。

義を見てせざるは勇無きなり

もちろん、センテンスだけではなく、単語の意味論もある。
この場合の『義』とはなんぞや?
正義なのか?忠義なのか?義理なのか?

調べれば、五常「仁義礼智信」の中の『義』となるが、それを答としては、人生そこでお終いだよ。

これこそが『義』であり、ここで動かねば男(女も)が廃ると言う時が、必ずきっと来る。
その時に備えて、常に反芻して『義』とは何ぞや?っと、「解題」を求めていく事こそが真の学問だと思う。

その反芻を反射的にする為には、漢文の「素読」が最適。
エッセンスだけが凝縮して書いてあるからね♪

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